ビエンチャンからの夜行バスに乗り、
辿り着いたシェンクアン。
この街はベトナム戦争中にラオス解放勢力の拠点だったため、
米軍による激しい空爆を受けた街だ。
近くにはムアンクンというかつては壊滅した街もある。
午前7時、本日の宿探しを始める。
地図を片手に何もない1本道を歩き出す。
すると1台の車が停まった。
聞けば街まで5kmもあると言うではないか。
仕方がないのでバスターミナルに戻り、
すぐ隣に建つキレイなゲストハウスの扉を叩いた。
絶対高い!そう決め込んで一度は通過した宿だ。
「70000キープ(870円)」
うぅ、やっぱり高い…。
「もっと安い部屋はないの?」
すると離れへと案内してくれた。
部屋にはベッドがひとつあるだけの質素な部屋。
しかし、40000キープ(500円)という値段は魅力だった。
よし決まり!
さあ、寝ようとベッドに横になるや「ヘイ、ジャパニーズ!」と、
廊下で誰かが叫ぶ。ドアを開けると、
ジャール平原へ行くツアーの誘いだ。
実は宿の主人に「ジャール平原へ行くためにここに来た」と、
話していたため、ドライバーを呼んでくれたみたいだ。
もう、今日じゃないのに…(英語がしゃべれないから)
天気は良好、時刻は朝8時。
このまま寝るのはもったいないか。
「わかった、10分で準備するから!」(KAZ)
「ノープロブレム」(ドライバー)
料金は20ドル。約6時間かけてジャール平原を隈なく回るツアー。
しかも昼食と水はサービスだ。
ジャール平原は「壷の平原」という意味で、
無数の巨大な壷が転がる謎の遺跡。
ラオス最大のミステリーといわれている。
本当はバイクを借りて一人で行こうと思っていたが、
この平原は不発弾が大量に埋まっていて
毎年100人を超す死者が出ているという。
大事をとって(道にも迷うだろう)のツアーだ。
英語ガイドの話はほとんど理解できないので、夢中で写真を撮り続けた。
欧米人グループが楽しそうに会話をするなか、
ずっとiPodを聞いてひとり輪の外にいた
ベトナム人のウォン君とは気があった。
彼は英語が堪能だ。ガイドの話を、
より分かりやすい英語で教えてくれる。
聞けばまだ大学生だとか。英語は2年勉強しただけだという。
「なぜ日本人は英語が話せないの?」(ウォン)
「文法の勉強しかしないからかな?」(KAZ)
「なぜ頭にタオルを巻くの?」(ウォン)
「侍がルーツだと思うよw」(KAZ)
ツアーが終わり、街を散歩していると
カフェでコーヒーを飲んでいるウォン君に再会した。
「明日、ハノイ(ベトナム)へ行くんだ。
よかったら一緒に来ないかい?」(ウォン)
「行きたいけど、もっとラオスを見たいんだ」(KAZ)
「そりゃ残念だ。次は僕の国にも来てくれよ」(ウォン)
「ああ、フエやホイヤンはぜひ行ってみたい場所だ」(KAZ)
握手をし、いつかの再開を誓った。
自分の国が好きだというウォン。だから絶対に遊びに来いと。
日本が好きだから遊びに来い、そう言えない自分がもどかしい…。
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