時をかける少女


日本人パッカーのたまり場、

『マナハ ツーリズム ホテル』を後にした。


思えば、毎晩夜更けまで

ロビーのソファで取り留めのない話に興じた。

こんな遠い異国の地で出会った旅人たち。

旅をしている、

たった1つの共通点がどれほど大きいだろうか。

「また、どこかで」と言い残し、

ひとり、またひとりと去っていく。


そして自分の番が来た。

ザックに荷物と思い出を詰め込んで、

朝の街に溶けていった。


サアナから乗り合いタクシーで「マナハ」へ向かう。

距離にして約100㎞、料金は600リアル(約300円)だ。

1列に5人乗る、ハコ乗り状態でタクシーは走り出した。


マナハは、「中東のスイス」と異名を持つ。

険しい山々に集落があり、いく重にも連なる段々畑が美しい。

今は雨季なので、ちょうど緑の絨毯を敷き始めた頃だ。

窮屈な車内からカメラを突き出し、フレームに収めていく。

まるでライフルを射撃しているようで

目を細めてスコープを凝視、照準をしぼって撃った。


そんなことをしている間にマナハに着いた。

急な斜面を切り開いて作られた町だ。

標高が高いため風が冷たく、少し肌寒さを感じた。

昨日は45度以上、今日は20度以下、

目まぐるしい気温の変化に身体が悲鳴を上げはじめている。


さて、マナハのすぐ隣には「ハジャラ」という村がある。

標高2300m、そのてっぺんには

4、5階建ての石造りの家が立ち並んでいる。

「今日は宿に篭る」という相方と別れてひとりで

マナハから片道5㎞のトレッキングに出かけた。


ハラジャは堅牢な城壁に囲まれていて、

1000年前から変わっていないという。

門をくぐると、今日もタイムスリップのはじまりだ。


イエメンは時間が止まったお伽噺の世界。

数千年という、時空もあっという間に超えていく。

“発展”と引き換えに、アッラーが与えた幸福の物語。

そしてその登場人物になった自分。

あれっ? アジアの喧騒はどこへいった?

とても落ち着いた旅がつづいている。


人もまばらな小さな村で、

しだいに強くなっていく風を感じた。

時が止まったままの世界にも、必ず夜が来る。

毎日、夕方から霧が村を覆い隠し、その姿を消す。

とても神秘的な場所だ。


日々、絶景や幻想的な景色に心を奪われるが、

果たして自分の中に何が残っているのだろう?

どこどこへ行った、という足跡以外に…。

瞳を閉じる、反芻する、白く靄のかかった心。

この村のように分厚い霧が気持ちを覆い隠しているようだ。

目に映るものから何かを感じとりたいのに…。

出口のわからないまま、思考を彷徨いつづけると宿についた。


そして今、再び気持ちの中を旅しながら

こうやって文章を綴っている。

見え隠れする気持ちを必死につかまえ、

限りなく透明に近い文字を打つ。


旅。明日の行き先は名前しかしらない。

気持ち。明日の自分は今日と違う顔をしている。

毎日変わっていく景色と気持ち。


圧倒的な時間の中で、変わらないイエメンを見ていると、

自分の軸の脆さを危惧してしまう。


“変わる”ことと“変わらない”こと。

どっちが大切なんだろう?


ダブルスタンダードが得意な日本人だから、

その狭間を揺れるしかないのだろうか?


不変、普遍、不偏。


この3つの言葉の意味を意識しながら

それでも変わっていきたい、と思っている。


※ 不変 かわらないこと

※ 普遍 あたりまえのこと

※ 不偏 かたよらないこと

旅のチカラ、旅のカケラ

世界一周の旅、 それはもう遠い夏のようだ。 500日間世界を駆け巡り、 300を超える長距離バスに揺られた。 旅を終えて日常に復帰したが、 それでも時間を見つけては小さな旅を続けている。 旅のチカラに引き寄せられ、 旅のカケラを集めていく、 そんな毎日。

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