ルワンダの首都キガリから
「ブタレ」という変な名前の街に移動する。
キガリが政治の中心地であるのに対し、
ブタレは学術都市として発展してきた。
また、ルワンダの文化史について詳しく展示されている
「ルワンダ国立美術館」があり、
東アフリカでもっとも美しい美術館と言われている。
時間があれば訪れてみたい。
ニャブゴゴという、これまた変な名前のバスターミナルで、
「ブタレ、ブータレ」と呟きながら歩いていると、
あっち→、あっち↑、あっち↓、ここ!!
と、人差し指リレーで目的のマタトゥに辿り着いた。
マタトゥとは、ルワンダの乗合タクシーのことで、
日本でよく目にする白いワンボックスカーである。
今回も大入り。ご祝儀は出なかったが、
待ち時間もなくワゴンはターミナルを出た。
キガリ→ブタレは、およそ3時間、
運賃は1800フラン(約380円)。
マタトゥはちょっとやっかいで、人が乗り降りする度に、
あっちに座れ、こっちに座れと、席を移動させられる。
そしてルワンダ人は寒さに弱いのか、
窓を開けていると、すぐにピシャっと閉じられてしまう…。
もう、暑いじゃん!!
よく見ると皆、厚手のシャツを羽織っていた。おいおい。
車窓は、山裾に緑の畑が広がる牧歌的な景色。
こりゃ四国だね。
ルワンダの面積は四国の1.3倍で、
今日の移動はちょうど高松から高知に行くようなもの。
いくつものカーブを切りながら、ブタレを目指した。
昼下がり、ブタレに着いた。
宿は名前だけメモってあった『GRATIA』。
ランチの評判がよく、
これに間に合うようにキガリを出発した。
部屋は1泊5000フラン(約1000円)、
安宿が少ないルワンダではこの値段が最安値である。
ランチはビュッフェかと思いきやメニューを手渡された。
うーむ、フランス語…、わからない。
どうやらコースのようなので、
1番安い1500フラン(約300円)のものを注文した。
まずはスープが運ばれ、
つづいてビーフ、パスタ、ライス、ポテトなど
ごちゃごちゃプレートが登場した。
空腹だったので、一気にかきこみ、
最後は冷たいコーラで〆た。
期待してた分、もの足りなさはあったが、
部屋がキレイだったので、よし!としよう。
日あたりの良いツインルーム、
1泊ずつベッドを変えてみようか(笑
午後3時、街を散策することに。
キガリとは違い、アフリカらしい土っぽい街だった。
自転車タクシーやバイクタクシーが大勢たむろしていたが、
ルワンダ人は控えめな性格で、
乗れ、乗れとは言ってこない。
たまに、「ジェット・リー?」と聞かれるくらい。
そう、最近はジャッキー・チェンより、
ジェット・リーの方が人気のようだ。
寒くなる前にシャワー(水)を浴び、中庭で読書をした。
今読んでいるのは宮部みゆき。
700ページもある長編だから
しばらく楽しめると思っていたが、
いかんせんひとり旅。
ルワンダでは忙しく観光をしていないので、
みるみるページが減っていった…。
そのまま読みふけり、日が沈む頃には
エンディングを迎えてしまった。
ふぅ~、大きく溜息をつき、本を閉じる。
部屋に戻り、ベッドで仰向けになった。
……。
音のない部屋。
白熱灯がパチパチと点滅し、ふっと消えた。
……。
光のない部屋。
胸が苦しくなり、呼吸がぎこちなくなった。
あぁ、ひとりぼっちだ…。
長く物語の中にいたのに、急に現実に引き戻され、
でも、戻ってきたこの世界もまた非現実的…。
ここ、アフリカだよ、ルワンダだよ!?
フワフワと居場所を求める魂、
所在無く、彷徨う思考…。
無性に誰かと話したくなった。
でも、周りはフランス語、ダメだ…。
部屋にいると気持ちが沈みそうなので、
夕食がてら街に出た。
街中停電していて、
突然目の前に黒い人たちが現れるからビックリする。
闇に隠れて~♪ の妖怪人間のテーマソングが似合う。
ロウソクの灯りの中で営業していたレストランを見つけ、
中に入ってみると、ビュッフェだった。
「ハウマッチ?」
……???
通じないか?
「コンビアン?」
辛うじて3つだけ知っているフランス語で尋ねると、
ボショショシュルシェ、
と、ささやくフランス語で返事が…。
わからないって(泣
両手を広げ、1から順に指を立てていった。
6、7、8!!
“8”で頷いた、ってことは
800フラン(約180円)だね?
パスタを山盛りによそって、
サラダも山盛りによそって、
肉を選ぶと追加料金だからパスして、と。
いただきまーす♪
ガっついて食べていると、
「日本人か?」
向かいの席のおじさんが話しかけてきた。
口をモグモグさせながら、うんうん頷いた。
「JAICAか?」
違う、違う、ツーリスト、と首を振る。
「日本人は珍しいなぁ、ゴリラは見たか?」
高いから、見れない…。
そんな会話をしながら食事をした。
周囲からも熱い視線を注がれながら、
カタコト英語に身振り手振りで応対する。
言葉は通じなくても、チグハグな会話でも、
心は充分にあったまった。もちろんお腹も。
昔の日本はもっと人の力が重んじられていた。
だから、日常の暮らしにも確かな手応えが感じられた。
人と人、そのつながりは温かったはず。
では今は?
分業化、ハイテク化が進み、
個人から“孤人”へと変化していった時代。
みんなひとりぼっち、、、たまにそう気づかされてしまう。
どっかでプライバシーの意味を履き違えちゃったのかもしれない。
ひとりで食事しているときに、
「日本人か?」みたく問われたら、
なんじゃ、この人?
って、眉が訝しく動いちゃうもん。
景気が心のバロメーターで、
不況の煽りを受けて、
居場所を求めたり、存在理由に苦しんだり、
ちっちゃな日本の、おっきな闇を迷走している僕ら。
アフリカの何倍も豊かなのに、
変な事件ばっかり起きたり、暗い顔してたり、
ときどき、どっちが幸せかわからなくなる…。
1994年、ルワンダ紛争。
同じ国民どうしが殺しあったあの大虐殺。
ルワンダはそんな悲しい過去を乗り越えてきた。
明日はその“過去”を覗きにいく。
負の遺産が放つメッセージは何か?
その答えとはいかなくとも、ヒントは見つけて来よう。
今の自分へ、今の日本へのエールを―。
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